楽しい一日でした。
茶会が済んだ後、娘と車に乗って山や畑が一杯の場所から街中へ
帰ってくるのは、まるで虚構の空間から現実の世界に戻るような
雰囲気です。
ひょっとして、今すぐに引き返して寧日庵をもう一度訪ねてみると、
そこには先ほどまでいたメンバーはもとより、建物もすっかり無く
なっていた_ なんてね。
それにしても、ほとんど諦めていた「例の茶会」を経験することが
できたのは、大変幸運であったと言わねばなりません。
そしてこの茶会は、とても楽しかったと同時に、いろいろと考え
させられる茶会でもありました。
今回は素人が出席できる気楽な茶会だったはずです。
でも、たとえ気楽な異端の茶会であっても、亭主側が大変なのは
もちろんのこと、出席者もその気になればなるほど、勉強や経験が
必要になり、そうしてその苦労した分だけ楽しみも大きくなる_
というような気がします。
さらに、たとえ素人の客ばかりの茶会であっても、正客の振る舞い
次第で、茶会の雰囲気や方向性はそれなりに変る_ というような
ことに気付いて、少々びっくりしました。
そういう意味では今回の小生は、絵に書いたような下手な正客振り
だったようです。
なにしろ、せっかく特訓した知識は全部披露しなくちゃ_と、ずっと
考えていたのですから。
知識とか能力とかいうものは、それが必要な状況においてこそ、
使われるべきもののはずです。必要もないのにそれを披露しようと
するから無理が生じて肝心なところを取り逃がしたり、相手の立場
や心を思いやるなどという気持ちの余裕を無くしてしまい、結局は
周りの顰蹙をかうような事になるのではないだろうか。
顰蹙? ということは_ これがつまり、小生がよくお話している、
大寄せに出没する「腹黒茶人」になるための第一歩かもしれない。
なるほど、 あぶない。 あぶない。
ともあれ、こんなに理屈をこねまわしていたのでは、ちっとも気楽な
茶会になりませんが ...。
さて_ またこんな楽しい茶会に出席できるだろうか。
もし、運よく次の機会に巡り合うことができたなら、今度はもう少し
「うまく」振る舞って、もっともっと楽しまなくっちゃ。 (この項おわり)
コメント
Kitapon様
以前より楽しく拝見しております。
>今度はもう少し「うまく」振る舞って
いえいえ何もうまくふるまう必要はないと思いますよ、
正客が知識を披露されるのではなく、肩肘を張らず、お道具の説明などご亭主に語ってもらうのがベストと思います。
客は趣向をくみ取り、素晴らしいお席に招かれた喜びを素直にご自分の言葉で表現されれば、お決まりの挨拶より、ずっと相手に伝わると思います。
偉そうなことを申しましたが、茶事にお招きして亭主として日頃感ずるところでございます。
因みに今年最後の茶会のお菓子”埋み火”の試作が出来たところです。
一人でも喜んで下されば、と思っています。
Kitapon様も気楽にお茶を楽しんでくださいね。
いなかのネズミさんコメントをありがとうございました。
>正客が知識を披露されるのではなく、
そうですね。そこの辺りが、今回おぼろげに解ってきたかな_
といったところです。
>偉そうなことを申しましたが、
いえいえ、今後ともよろしくご指導をお願いいたします。
>Kitapon様も気楽にお茶を
気楽に楽しむつもりが、気が付くとついつい理屈を言って、
話を難しくしているようです。
まぁ、そういうことを楽しんでいるのかもしれぬとも思いますが...。
わ~~ぃお返事ありがとうございます。
いつも軽妙洒脱な文、楽しみに読ませて頂いております。
お茶の深淵は底なしです、重症になると血が抹茶の色に(驚)
お茶に費やす時間とお金の価値観が、常人であれと自分に言い聞かせておりますが、時々身の程知らずの物欲がふつふつと、、、
Kitapon様にはこれからも、清々しい正常な茶人であってほしいと願っております。
>わ~~ぃ
えっ、何だかイメージが違うような...
そういえば、先のコメントで「今年最後の茶会のお菓子」という
お話でしたが、これから茶会とはとても大変でしょうね。
”埋み火”_ 何となくその菓子が見えるような気がします。
>これからも、清々しい正常な茶人であってほしいと
有難うございます。 でも、茶人ではありませんけどね。