(本文とは関係ありません)
曰く、茶道とは_
相手に対し最善を尽くしながらお茶を点てることである。
仁・義・礼・智・信にかなった行動を教え導くものなのである。
客を招き、心をこめたもてなしをする二幕のドラマが茶事である。
茶道におけるもてなしとは、人に対する思いの深さである。
お茶席以外で「もてなす」という言葉は死語になっている。
茶道の作法のどれをとっても相手への思いやりで成り立っている。
...などなど。(出典略)
う~む、 これはすごい_
これを素人が見れば、茶道を10年も続けたなら、人生の達人とは
言わなくとも、少なくとも「おもてなし」のヴェテランぐらいになれそう
と思っても無理からぬことと思えますが、どうでしょう...。
正直なところ、「日本文化いろは事典」による以下の説明あたりが、
小生などには一番抵抗なく受け入れられるようです。
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茶道とは、伝統的な様式にのっとって客人に抹茶をふるまう事で、
茶の湯とも言います。茶を入れて飲む事を楽しむだけではなく、生きて
いく上での目的・考え方、宗教、そして茶道具や茶室に飾る美術品
など、広い分野にまたがる総合芸術として発展しました。
***
このテーマに対する小生の結論は、
茶道 すなわち もてなしの道 などと言ってしまっては、あまりにも
期待し過ぎではないか_ ということです。
よく考えてみれば、庭掃除もしたことがなく、意味も解らぬ受験勉強
を重ねてきた若者たちが、ふと思い立って、少し茶道を稽古したからと
いって、急に(10年やそこらで)他人から尊敬されるような、もてなしの
達人になれるはずなどないと考えるのが、極々自然であると言うべき
なのでしょう。
が、しかし_ これはあくまでも、弟子についての話です。
もし武道の師匠が、武道など強ければよいのだ_ と考えていて、
心などそっちのけで、弟子を鍛えていたとしたらどうだろうか。
これはとんでもない乱暴者が、続々と世の中に放たれて行くかも
しれません。
茶道の場合も同じではないか_
指導者たる者は、その(門人に対する、あるいは社会に対する)責任の
重さを充分に知るべきであろう。
つまり、これこそが、
小生をして、腹黒師匠を憎ませずにはおかぬ所以なのです。
(最後まで腹黒軍団を敵視しつつ、稽古遠望おわり。 異端の茶会につづく)
コメント
楽しく拝読しています。
異端の茶会シリーズも楽しみにしています。
ありがとうございます。
私のブログ形式の性質上、最初にシリーズ名を決めてしまいますので、
時々、書いているうちに内容が一致しなくなることがありますが、
さて今回はどうなることやら...。