稽古遠望_6(もてなしはどれですか?)

尚古荘2

 誤解を恐れず大まかに言ってしまえば_
 外界から覗くと、茶道界にはとんでもない腹黒茶人がゴロゴロして
いるように見受けられるのに、茶道界の人達はそれを大して気にして
いないように見える。 _ ということです。

 そしてつまりこれは、 小生が、茶道というものを勝手に誤解している
と考えると、とても辻褄があうような気がします。

 小生は、素人なりに、茶道関連の書物を読んだり、ヴェテランの説明
を聞いたりして、なんとなく、茶道とは「茶を点てて人をもてなす」ような
ことではないか、いや、もう少し丁寧に言えば、人をもてなすことは、
少なくとも茶道の大切な目的なり手段なりの中に入っているはずだ、
と思っていたのです。

 茶道とは何か_ などという大層な命題にたいして、小生のような
ど素人の部外者が自分の考えを述べるというのは、どう考えても
とんでもなく無理があり、噴飯ものであると言えるかもしれません。

 でもしかし、素人が、茶道とはどういうものであると理解しているか_
を、(ちょいと参考までに)述べることは、茶道関係者ではなく、素人に
しかできない芸当であるとも言えます。 
 そういう意味においては、茶道を「もてなしの道」のようなものと信じ、
期待しているというのは、ど素人としての(大威張りの)見解であり、
さらにまた、これは小生がかの佐喜知庵の魔王と運命的な出会いを
して以来、一貫して信じ続けている想いでもあるのです。

撞木館6
   (写真は本文とは関係ありません)

 それ故に、小生は茶会に行けば、 あるいは茶人を見れば、 
「で、もてなしはどれですか?」と、いつも探しています。

 そして、小生が探し物が見つからずにウロウロしているのに、みんな
平気な顔をしているのは、「そんなものは見つからなくても、どうという
ことはないんだよ」と言っている_ というようなことではないだろうか。

 つまり、先の小生の見解が見当違いの解釈らいしと思う所以です。
 
 ところで...
 「人をもてなす」事が、茶道の大切な目的の内の一つに位置している
かどうかは、普段の茶道の稽古において、人をもてなすための稽古と
いうものが、どの程度行われているか_を見れば、ほぼわかるような
気がします。 (つづく)

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