先の、茶碗の受け取りを拒否したヴェテランのエピソードは、
たまたまとても不思議な人を見た_ という話ではありません。
小生が見聞した似たような話から、代表として取り上げたもので、
つまり、こういうことはよくある...かのようです。
茶会とは_ じゃなくて...
呈茶とは_ そもそも何だろう。 呈茶の場では出された抹茶を、
茶道の正しい作法で飲まないと「いけない」のだろうか。
少なくとも、正しい作法で飲むのが「望ましい」のだろうか。
いや、呈茶の場に限らず_
抹茶というものは、そうやって飲むのが正しい、もしくはそれを期待
される飲み物なのだろうか。
もしそうであれば、茶道を知らない人達は、抹茶から遠ざかるか、
茶道に入門するかの二者択一を迫られてしまいそうです。
一部の茶人が、(一般の場所で)作法などというものを振りかざす
ようなことがあれば、それを見た多くの素人が抹茶を飲むのを避ける
ようになるのは、当然の成り行きかもしれません。
小生の仕事場に来客があった時、たまにカミさんが抹茶を出すことが
あります。 ここで、ほとんどの客が、こりゃ大変_ という顔をして、
「飲み方など全然知りませんので...」などと言って、窮屈そうにします。
コーヒーを出した時に、「飲み方...」と言う人にお目にかかったことは
もちろんありません。 同じ飲み物で、どうしてこんなに差がついてしまった
のでしょうか。
また、小生がどこそこで抹茶を飲んだ_ などという話を知人にすると、
「お前も物好きだなぁ」という反応が返ってきて、なんだか普通の生活を
している人間はやらぬ、大層変わったことに興味を持っているかのように、
扱われます。
抹茶を飲むことは、そんなに特別なことなのだろうか。
(何度もお話しているように)小生は抹茶は好きですが、作法には大して
興味がありません。 そういう小生から見ると、せっかくのおいしい飲み物
である抹茶が、作法云々のために一般の人から敬遠されているとすれば、
本末転倒であり、とても悲しいことと言わねばなりません。
あの、小生の子供時代に「さあ、お茶を飲んだらもう寝なさい」と言って、
毎晩出てきた抹茶は、一体どこへいってしまったのだろう...。 (つづく)