茶道 腹黒茶人

腹黒茶人_3(侵すべからざる作法)

ラシック呈茶-1

 今度はもう少し微妙なエピソードです。

 知り合いの社中(茶道のグループ)が、結構 人の集まる場所で、
そこに(茶道とは関係なく)来場した一般の人を対象にして、無料の
呈茶(希望者に抹茶を飲ませるサービス)をした時のことです。

 予想よりたくさんの人が集まったために、全然人手が足りず、
みんな必死で働いています。

 中央に畳が数枚敷かれ、ここで点前(てまえ:お茶を点てること)を
見せる形式になっています。 本来は、ここで点(た)てられたお茶を、
運び役の人が客に運ぶわけですが、先のような状態ですので、
お茶がすでに点っているのに、運ぶ人がいません。

 そこで、点前をしている本人が、点てたお茶をすぐ近くにいた客に
直接に運んで行って、渡そうとしました。

 ここで、ちょいとしたトラブルです。
その客は、どうやら茶道をやっている、それも結構なヴェテランらしく、
茶の作法をよく知っている様子で、「点てた人が運ぶなどという作法は
ありません。」といって、皆が見ている前で、敢然と茶碗の受け取りを
拒否しました。

 これに関しては、いろいろな意見があると思います。
(もし本当に、茶道ではどの流派であっても、茶を点てた人が、
その茶を運んではいけないという規則があるのならば)
いかにも、このヴェテランのいうのが筋だとも言えますし、いや
こういう場合に形式に捉われず、臨機応変に働いてこそ茶道だ、
という考えもあると思います。

ラシック呈茶-2
   (写真は本文とは関係ありません)

 問題はそこではなくて、ここで自分の考えを通すために、人前で
他人の行動を否定するところにあります。 

 茶道の作法とは、いついかなる場合にも決して侵してはならぬ
神聖な教義のようなものであるということなのだろうか。 

 先にお話しした、敬虔なクリスチャンであるところの小生の姉でさえ
止むを得ず寺社に立ち入った場合は、目立たぬよう行動していますが、
このヴェテランは、何故このような頑なな態度をとるのだろう。(つづく)

にほんブログ村へ  ←人気ランキングに参加中(クリックして頂くとランクが上がります)

コメント

  1. のんのん より:

    こんばんは
    そのかたは 心が固いのでしょうね ゆとりを持って 見てあげる余裕がなく
    いっぱいいっぱいなのですね 
    少しでも 茶道されてる方なら 主催される方の 批判はしませんね
    たぶん 茶人より 大人としての 優しさが 足らないのでしょうね
    いつも 変な方に遭遇されて お気の毒ですね・・・合掌

  2. kitapon より:

     そうですね...
    何故か私の周りに変な人が多いのか、それとも
    私がいつも変な人をさがしているのか...。

     そういう人に対して、欠点をあげつらうような態度では、
    こちらも同レベルではないか_ とも思いますが、 まあ、
    軽口をたたいているブログ、といったところで、軽くお付き合いを
    願います。

タイトルとURLをコピーしました