今度はもう少し微妙なエピソードです。
知り合いの社中(茶道のグループ)が、結構 人の集まる場所で、
そこに(茶道とは関係なく)来場した一般の人を対象にして、無料の
呈茶(希望者に抹茶を飲ませるサービス)をした時のことです。
予想よりたくさんの人が集まったために、全然人手が足りず、
みんな必死で働いています。
中央に畳が数枚敷かれ、ここで点前(てまえ:お茶を点てること)を
見せる形式になっています。 本来は、ここで点(た)てられたお茶を、
運び役の人が客に運ぶわけですが、先のような状態ですので、
お茶がすでに点っているのに、運ぶ人がいません。
そこで、点前をしている本人が、点てたお茶をすぐ近くにいた客に
直接に運んで行って、渡そうとしました。
ここで、ちょいとしたトラブルです。
その客は、どうやら茶道をやっている、それも結構なヴェテランらしく、
茶の作法をよく知っている様子で、「点てた人が運ぶなどという作法は
ありません。」といって、皆が見ている前で、敢然と茶碗の受け取りを
拒否しました。
これに関しては、いろいろな意見があると思います。
(もし本当に、茶道ではどの流派であっても、茶を点てた人が、
その茶を運んではいけないという規則があるのならば)
いかにも、このヴェテランのいうのが筋だとも言えますし、いや
こういう場合に形式に捉われず、臨機応変に働いてこそ茶道だ、
という考えもあると思います。
(写真は本文とは関係ありません)
問題はそこではなくて、ここで自分の考えを通すために、人前で
他人の行動を否定するところにあります。
茶道の作法とは、いついかなる場合にも決して侵してはならぬ
神聖な教義のようなものであるということなのだろうか。
先にお話しした、敬虔なクリスチャンであるところの小生の姉でさえ
止むを得ず寺社に立ち入った場合は、目立たぬよう行動していますが、
このヴェテランは、何故このような頑なな態度をとるのだろう。(つづく)
コメント
こんばんは
そのかたは 心が固いのでしょうね ゆとりを持って 見てあげる余裕がなく
いっぱいいっぱいなのですね
少しでも 茶道されてる方なら 主催される方の 批判はしませんね
たぶん 茶人より 大人としての 優しさが 足らないのでしょうね
いつも 変な方に遭遇されて お気の毒ですね・・・合掌
そうですね...
何故か私の周りに変な人が多いのか、それとも
私がいつも変な人をさがしているのか...。
そういう人に対して、欠点をあげつらうような態度では、
こちらも同レベルではないか_ とも思いますが、 まあ、
軽口をたたいているブログ、といったところで、軽くお付き合いを
願います。