この佐喜知庵は、特別な日以外は、市内の各茶道グループ(社中)等が
持ち回りで、呈茶を担当しているようです。
よって、その日に担当した社中により、呈茶の内容も違い、、魔王のときの
ように、客にお点前を見せることもあれば、今回のように「点て出し」する
(奥で点(た)てた抹茶を運んでくる)こともあるわけです。
カミさんの経験談も加味して考察するに、
小生はこの佐喜知庵へたった2回来ただけで、最も好ましい呈茶の例と、
最悪の呈茶の例を経験したようです。
考え方によっては、つまらぬ時間をかけずに茶道の現状を見せて頂いた
と思えば、とても運が良かったのかもしれません。
これはその後何年か経ってから、よく理解できたことですが、小生が初めて
佐喜知庵に迷い込んだとき、茶道のことを何も知らず、わけのわからぬ小生を
もし、馬鹿にするような空気が少しでもあったなら、小生はその後二度と茶道には
近寄らなかったでしょう。
あの時、全く素人の小生を何とか気持ちよく過ごさせようとした、魔王の
もてなしの心が、表面的には悲劇的な時間であったにも関わらず、小生の心に
不思議な心地よさを与え、茶道に対する関心を呼び起こさせたのだと思います。
そして、この魔王の念力があまりにも強力だったため、今回を含めてその後何度も
茶道に関連した場所で、信じられぬような不快な経験をした時にも、茶道そのものが
悪いのではなく、人が悪いのだと解るようになりました。
この時小生は素人なりに、理解したのです。
茶道は心だと。 そして、人が何年も茶道を続けるのは、あの魔王のような強力な
念力を身につけるために違いないと。
( 「茶道を覗けば」おわり。 「さすらいの茶人」へ つづく )