(苔がみごとな筧式の蹲踞)
作法など何も知らない人が出席しても、叱られたり、笑われたり
しない茶会が催されます。
でも、そんな茶会にも、みんなが楽しむための要件がある_ と
小生は考えます。
それは、先の小生宅の「茶会(もどき)」でも重要なポイントだった
のですが、全体としてできるだけ「茶会らしく」することが、必要で
あろうと言うことです。
気楽に、自由に、とばかり考えていると、茶会でも何でもない只の
寄り合いになってしまって、ちっとも面白くありません。
たとえ素人の客でも、一応それらしく、(近くの誰かを真似ながら)
動かなければ、茶会らしくはならないでしょう。
そのかわり、失敗しようが下手に振舞おうが一向に差し支えない
のです。
それ故_ 今回の茶会では、少なくとも小生がある程度は茶会の
手順なり、作法なりを知っていなくては、話が始まらぬということに
なります。
(にじり口も設けられています)
というわけで、小生は久し振りに図書館へ出かけて、例の如く
「初歩の茶道」「初めての茶会」「客の心得」などという本を借りて
来ました。
そういえば、以前はよく茶道の本を読んだものですが、最近は
全然そんな機会がなくて、とても懐かしい気がします。
まさか正式な「懐石」は出てこないでしょうから、ここは飛ばしても
大丈夫。 「濃茶」も要らないでしょう。 あの連客で濃茶を回し飲み
している図は、全くイメージできませんから。
そうではなくて、にじり口はこうして入るだの、蹲踞の使い方だの、
正客はここで「お道具拝見」とか、そうそう これが読みたかったの
です。
でも... ふと気が付くと、
小生は確か、「勉強などしなくてもよい茶会」に出かけるはずでは
なかったのか??
「何も知らなくても、招待されたら喜んで出席できる茶会」のはず
ではなかったのか??
う~む、 この大いなる矛盾については、また後で考えることに
して、取り敢えず今は本を読むことにしよう。 少なくともこの勉強は
決して嫌ではなくて、結構面白いのだから。
(これが寧日庵の茶室)
さて、当日になって、小生は一応ネクタイなど締めて行くことにし、
娘にも言いました。 「お前も少しは正装して行きなさい」
すると娘が驚くべきことを言ったのです。
「わたし、普段着以外何も持ってないよ。 スカートもないし」
「えっ、 _でも、確か入試の面接の時に着ていたのが...」
「それ10年以上前だし!」 (この項つづく)