稽古遠望_8(武道と比較すれば)

 ただでさえ重い話をしているのに、さらに受験勉強の話など、やめて
おきましょう...。  そもそも、何の話でしたっけ?

 受験勉強

 そうそう、茶道の稽古の中に、「もてなしの稽古」というようなものが
あるのだろうか_ というような話でした。

 では、
「道」とか「稽古」というような意味において、似てはいるが、茶道とは
違うもの_ 例えば「武道」の場合はどうだろう...。 

 ほとんどの武道は、日々の苦しい鍛錬を通して、最終的にはやはり
人の道とか、そういったものを目標にしていると思えます。
 では武道を稽古している者は皆、心が鍛えられているのだろうか。
武道では、いつも人の道を目指しながら稽古しているのだろうか。

 武道に励む若者に、その動機を問うたとします。
その時、「立派な人間になりたくて...」とかいった類いの回答を得た
なら、きっとにわかには信じられないでしょう。
 「実はケンカに強くなりたいと思って...」と言われれば、よほど
納得がいきます。

 稽古のときに、人の道を考えながら励めというのは所詮空論に過ぎ
ないのではないか。 普通の人は道場なりに出かけて行って、そこで
何をやっているのかといえば、つまりその武道の「技」を磨いているに
相違ありません。
 人の道云々は、あくまでもその結果として、例えば達人になった時に
自然と身に着いてくるものであり、普段からそれを身に着けようとして
稽古に励む_ などということは、ほとんど無いと考えるべきでしょう。

 彼らに、いや武道とは_ などと部外者が口を挟むのは、なるほど、
いかにも無理があるような気がします。 

合気道

 ところで、
 武道のヴェテランが何かの加減で暴力沙汰に巻き込まれたとします。
その時、そのヴェテランが(本気を出したのに)素人に簡単に殴り倒さ
れたとしたら、それを見ていた人達はきっとビックリして「なあんだ、
何年も稽古に励んでいるのに大したことはないな」と思いそうです。

 また、この場に本当の達人が居合わせたならどうであろう。
 その素人に対して、すっかり謝ってその場を納める_ とか、もともと
そういう暴力沙汰になる前に、なんとか回避するというような、見事な
振る舞いを見せるかもしれません。  (つづく)

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