腹黒茶人_13(もてなしの幻想)

丈山苑2

 もてなし_ とはなんだろう。
客を気分よくさせたとしたら、これはもてなしがうまくいったと言うべき
ではないか。 特に茶道に限らなくても、例えば客が来た時、美味しい
ものを一杯ごちそうして、素晴らしい音楽か何かを聞かせ、びっくりする
ような家宝を見せたりして喜ばせ、おまけに帰りにはお土産をたくさん
持って帰って頂いたとしたらどうだろうか。

 これには、たいていの人が大喜びして、また機会があればぜびとも
招待してもらいたいと思うにちがいない。

 それに対して、そんな家宝も持ってなくて、ろくな食事も用意できない
代わりに、客が楽しく過ごすために一所懸命に気を遣って、心温まる話
などをして... 
 まあ、それはいいでしょう。 これはこれで楽しい時が過ごせるかも
しれません。 

 しかし_
この心温かなるもてなし人が、先のぜいたくもてなし人のことを、
「あの人のもてなしは、心がこもっていませんよ」などと言ったとしたら、
これはなんだか虚しくなって_というよりも、片腹痛くなってくるのでは
ないだろうか。

丈山苑3

 一体、心でもてなすということは、はたして難しいことなのか。
考え方によっては、誰でもちょっとその気になればある程度はできる、
つまり、とても簡単なことのような気がしないでもありません。

 つまり、誰にでもできる、もてなしの心なぞというものは、そんなに
問題にするほどのものではなくて、それよりも、金をたくさんかけたり、
永年の丹精や地道な努力によって収集し構築した、道具や技術や
身分等を保持している、もしくは保持しようとしている...
そんな茶人こそが_
すなわち、「物によるもてなし」ができる茶人こそが_
尊敬に値するのではあるまいか...。

 こう考えてくると、小生が今まで「茶道」というものに、漠然とでは
あっても、期待し、求めていたものは一体何だったのだろう_ と
思わずにはいられません。 (つづく)

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