茶道 腹黒茶人

腹黒茶人_12(そうかもしれない)

古川記念館3
   (写真は本文とは関係ありません)

 素晴らしい茶事の要所要所で語られた、とてもありがたいはずの
亭主(主催者)の話を、どうしても素直に聞くことができなかった_
という、危ない話のつづきです。

 小生が一番残念に感じたことは、そこには出席者をもてなすといった 
様子が一切見られないということでした。
 いや確かにおいしい料理やすばらしい(と思われる)道具が一杯
披露されました。 庭も席も小生にとっては感嘆すべきものであり、
きっと大した仕掛けなのであろうと思われます。

 なるほどそういう意味で言うならば、大層なおもてなしを受けたという
べきかもしれません。

 でも、茶道の「もてなし」とは、そういうもののことを言うのだろうか。
部外者である小生が、勝手に茶道の「もてなし」というものを誤解して
いるのだろうか。

 ここまで思いつくままに書いてきたのですが...。
ここで、(小生にとっては)驚くべき思考もしくは解釈が頭の中に湧き
上がってきたのです。

 _そうかもしれない。 

 本来、人を「心で」もてなすなどというのは、大して重要なことでは
ないのかもしれない。
 小生は今まで、心こそ大切であり、物でもてなすなどということは、
大分に程度が低い_ と信じて疑わなかったのです。

撞木館4
   (写真は本文とは関係ありません)

 しかし、本当にそうだろうか。
 今回の茶事を思い返してみると、主催者は素晴らしい「物」でもって
出席者をもてなしてくれたことは間違いありません。
 そして、心によるもてなしは_ 
 小生に言わせれば、出席者が亭主をもてなしていたように思われた
のです。 つまり、出席者達は事あるごとに亭主を褒めそやし、それに
対して亭主がいかにも満足げであったのですから。

 で、小生はいかにも落胆したわけですが、考え方を変えてみると、
この大物師匠は、普通の人ではとても出来ぬような大層な準備をし、
いろいろ高価な道具も揃えて、我々を大いにもてなした。 
 そして、それに対して我々出席者は、ほんのお返しとして、心でもって
もてなした...と、そんな風に考えることはできないだろうか。 (つづく)

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