キャンディーズ 音楽

キャンディーズ_6(雌伏の時代)

 キャンディーズの(初心者による初心者のための)説明をもう少し続けます。
 以下は、キャンディーズの足跡を時代順に追ってみました。尚、このお話の情報源は主にWikipediaであり、その他のネット上の記事の中でも、充分に信用できると判断した情報やキャンディーズ関連の書籍なども参考にしています。

 キャンディーズは1972年春ごろに結成され、1978年の春に解散するまで約6年間にわたり芸能活動を続けました。この間、その活動内容などから大きく3つの期間(初期、中期、後期)にわけてお話します。尚、この3つの期間に分けるなどというのは全然一般的ではなく、小生が勝手に区分したものです。

初期のキャンディーズ「ラン」「スー」「ミキ」

《 初 期 》(1972年春~1975年初め頃)
 3人とも、当時芸能界に絶大な勢力を持っていた芸能事務所である渡辺プロダクションに所属し、その傘下の東京音楽学院のスクールメイツ出身である。そのなかから3人はNHKのTV新番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして抜擢され、この時に「キャンディーズ」と名付けられた。その後、当時大人気のバラエティ番組「8時だョ!全員集合」にも(アシスタントとして)レギュラー出演しているが、それでもこの時期は大して目立った存在ではなかったようである。
 1973年9月に待望のレコードデビューを果たした(この時ランちゃんが18歳)ものの、残念ながらレコードは全然ヒットせず、しばらくは雌伏の時代が続くことになる。
 次の動画は当時の「8時だョ!全員集合」に出ているキャンディーズだが、何だか華やいだ雰囲気を全然感じさせないのは、気のせいであろうか。

≪「キャンディーズ 体操コント 1974」YouTube Mary T より≫

 レコードは結局4枚目のシングルの「なみだの季節」まで、オリコン(最も権威あるヒットチャート)で週間36位~46位あたりまで上がるのが精一杯という成績で、やっと開いたコンサートもあまり人が集まらず、このままでは解散かという危機であった。
 この時の3人の構成は、スーちゃんがいわゆるセンター(真ん中に立ってメインボーカルをとる)であり、最年少の妹を両側から2人の姉が支える_といった雰囲気で、つまりは「可愛い子ちゃん路線」であったといえよう。(但し「危ない土曜日」だけは異色で、別路線を模索していたのかもしれない)

2枚目のシングルのジャケット写真

 小生の感想では、これらの初期のシングル曲はどれも充分に良い出来だと思うのだが、この路線は当時では「ありふれた」方向性であり、話題性にも独創性にも欠け、時代の要求に答えてなかったような気がする。
 また、当時としてはこれだけのコーラスをこなす3人組などというものは大変貴重な存在であり、当然そのコーラスを生かした楽曲を次々と発表したわけだが、しかしこの時代に邦楽で3声コーラスの曲などというものがシングル曲としてヒットするとはとても思われず(そういう楽曲はアルバムの中でなら真価を発揮するであろうが)、結局のところ大した人気を得られなかったのは、製作者側の作戦負けだったということではないだろうか。

 ということで、次の曲は、綺麗なメロディーを(結果的に最後のセンターの曲として)スーちゃんが見事に歌い上げ、コーラスもピッタリはまっているのに、全然ヒットしなかった名曲「なみだの季節」です。YouTubeの映像は、初期のキャンディーズの雰囲気を十分に伝えています。

≪「なみだの季節」YouTube akasaka bluenights より≫

 ここまでが、小生の言うところのキャンディーズの「初期」であり、つまり結成はしたものの売れない下積みの時期であったわけです。尚、この「なみだの季節」を作曲した穂口雄右は、以降のキャンディーズの楽曲に深く関わるようになり、ヒット曲連発の「中期」へと続いていきます。
 
(この項つづく)

にほんブログ村へ  ←人気ランキングに参加中(クリックして頂くとランクが上がります)

コメント

  1. マコ より:

    解説のおかげで美しい3声コーラスがちゃんと聞こえました。
    音楽好きには嬉しい解説です。

    • kitapon より:

      どの程度の説明にするのが適当か、いつも結構迷ってます。

      • マコ より:

        しっかり解説して下さい。

        55年位前の話ですが、ラジオの音楽番組しかなかった頃
        お気に入りの解説者の番組を毎週楽しみに聴いておりました。

タイトルとURLをコピーしました