<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>kitapon閑話</title>
	<atom:link href="http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://205.co.jp/kitapon</link>
	<description>kitapon oyaji no mudabanashi</description>
	<lastBuildDate>Tue, 07 Sep 2010 01:17:50 +0000</lastBuildDate>
	<generator>http://wordpress.org/?v=2.8</generator>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
			<item>
		<title>異端の茶会_２（小学生の注意書）</title>
		<link>http://205.co.jp/kitapon/?p=4068</link>
		<comments>http://205.co.jp/kitapon/?p=4068#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 07 Sep 2010 01:17:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kitapon</dc:creator>
				<category><![CDATA[異端の茶会]]></category>
		<category><![CDATA[茶道]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://205.co.jp/kitapon/?p=4068</guid>
		<description><![CDATA[　例えば、フルコースのフランス料理を食べるにあたってのマナーとか
手順とかいうものも、よく耳にします。

　　　（冨士屋ホテルＨＰより）

　しかし、右足から出て左足で回って．．．とか、
汁を一口飲んだら、次に飯を一口食べる＿ などという細かい指示や、
お辞儀はこのくらいの角度でしろだの、持ち物はこれこれを用意しろ
だのと、まるで小学生に対する注意書きが並んでいるようなものは、
茶道でしかお目にかからないでしょう。
　いや、それには一々わけがあり、そうしないと他の人に迷惑だから、
とか、器を傷つけるから＿　と言われるかもしれません。 　
でも、それはフランス料理でも同じはずです。
　細かい手順を微細に指示するのではなくて、もっと根本的なこと、
例えば同席者に不快な思いをさせないようにとか、茶なり料理なりを
供してくれた相手に対して感謝するとかいうような「こころ」をしっかり
教えぬために、とんでもない形式主義に陥った挙句に、他人の作法が
間違っていることをことさらにあげつらって、却って同席者などに、大層
不愉快な思いをさせる輩が後を絶たぬのではないかと思うのです。
　亭主側の作法は、茶道の型どおりされればよいでしょう。　それこそ、
部外者が口をはさむものではありません。
　またそれに合わせて、習い覚えた作法で、いわゆる「あうんの呼吸」
を楽しむ出席者がいてもよいでしょう。
　しかし、茶会に招かれた者はすべて、茶道の正しい作法で振舞うのが
当然であり、それができぬ者は出席を遠慮すべきである＿ というような
考え方に、小生は（素人として）疑問を呈しているわけです。
　これで、「客を招いておもてなし」？　ですか．．．？
　結局のところ、茶事（茶会）は「ドラマ」か「もてなし」か、というところが、
問題になるのではないだろうか。

　つまり、小生がまわりを見渡したところ、ほとんどが「ドラマ」の部分に
力を入れた茶会であり、演技の素人は出席できない＿　もしくは、出席
したならば、他の出演者に大層迷惑をかける＿　というようなもので、　
「もてなし」の部分に力をいれた茶会には、ほとんどお目にかかれない
のです。（小生の周りが、茶道の平均的状況かどうかは不明ですが）
　それが茶道というものだ＿　と言われれば、返す言葉も有りませんが、
もっと、　こう．．．　たとえこちらが素人でも、何も作法を知らなくても、
ハンカチしか持っていなくても、そして一所懸命に勉強して備えなくても、
招かれたら喜んで出かけることができるような＿　そんな楽しい茶会が
あれば、もっともっと新しい世界が広がるような気がするのですが．．．
　所詮、異端者の夢想でしょうか。　それとも、小生の知らぬところで、
そんな茶会はいくらもあるのでしょうか。　（つづく）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　例えば、フルコースのフランス料理を食べるにあたってのマナーとか<br />
手順とかいうものも、よく耳にします。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/09/fullcourse1.jpg" alt="フランス料理" title="フランス料理" width="300" height="200" class="alignleft size-full wp-image-4104" /><br />
<span style="font-size: xx-small;">　　　（冨士屋ホテルＨＰより）</span><br />
<span id="more-4068"></span><br />
　しかし、右足から出て左足で回って．．．とか、<br />
汁を一口飲んだら、次に飯を一口食べる＿ などという細かい指示や、<br />
お辞儀はこのくらいの角度でしろだの、持ち物はこれこれを用意しろ<br />
だのと、まるで小学生に対する注意書きが並んでいるようなものは、<br />
茶道でしかお目にかからないでしょう。</p>
<p>　いや、それには一々わけがあり、そうしないと他の人に迷惑だから、<br />
とか、器を傷つけるから＿　と言われるかもしれません。 　<br />
でも、それはフランス料理でも同じはずです。</p>
<p>　細かい手順を微細に指示するのではなくて、もっと根本的なこと、<br />
例えば同席者に不快な思いをさせないようにとか、茶なり料理なりを<br />
供してくれた相手に対して感謝するとかいうような「こころ」をしっかり<br />
教えぬために、とんでもない形式主義に陥った挙句に、他人の作法が<br />
間違っていることをことさらにあげつらって、却って同席者などに、大層<br />
不愉快な思いをさせる輩が後を絶たぬのではないかと思うのです。</p>
<p>　亭主側の作法は、茶道の型どおりされればよいでしょう。　それこそ、<br />
部外者が口をはさむものではありません。<br />
　またそれに合わせて、習い覚えた作法で、いわゆる「あうんの呼吸」<br />
を楽しむ出席者がいてもよいでしょう。</p>
<p>　しかし、茶会に招かれた者はすべて、茶道の正しい作法で振舞うのが<br />
当然であり、それができぬ者は出席を遠慮すべきである＿ というような<br />
考え方に、小生は（素人として）疑問を呈しているわけです。<br />
　これで、「客を招いておもてなし」？　ですか．．．？</p>
<p>　結局のところ、茶事（茶会）は「ドラマ」か「もてなし」か、というところが、<br />
問題になるのではないだろうか。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/09/chakaidrama.jpg" alt="茶会ドラマ" title="茶会ドラマ" width="300" class="alignleft size-full wp-image-4100" /></p>
<p>　つまり、小生がまわりを見渡したところ、ほとんどが「ドラマ」の部分に<br />
力を入れた茶会であり、演技の素人は出席できない＿　もしくは、出席<br />
したならば、他の出演者に大層迷惑をかける＿　というようなもので、　<br />
「もてなし」の部分に力をいれた茶会には、ほとんどお目にかかれない<br />
のです。（小生の周りが、茶道の平均的状況かどうかは不明ですが）</p>
<p>　それが茶道というものだ＿　と言われれば、返す言葉も有りませんが、<br />
もっと、　こう．．．　たとえこちらが素人でも、何も作法を知らなくても、<br />
ハンカチしか持っていなくても、そして一所懸命に勉強して備えなくても、<br />
招かれたら喜んで出かけることができるような＿　そんな楽しい茶会が<br />
あれば、もっともっと新しい世界が広がるような気がするのですが．．．</p>
<p>　所詮、異端者の夢想でしょうか。　それとも、小生の知らぬところで、<br />
そんな茶会はいくらもあるのでしょうか。　（つづく）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2&amp;p=4068</wfw:commentRss>
		<slash:comments>2</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>異端の茶会_１（素人と茶会）</title>
		<link>http://205.co.jp/kitapon/?p=3390</link>
		<comments>http://205.co.jp/kitapon/?p=3390#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 01 Sep 2010 01:06:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kitapon</dc:creator>
				<category><![CDATA[異端の茶会]]></category>
		<category><![CDATA[茶道]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://205.co.jp/kitapon/?p=3390</guid>
		<description><![CDATA[
　以前、抹茶というものは、はたして作法正しく飲むのが「正しい」もしくは
「好ましい」ものだろうか？　というお話をしました。
　でも、小生が本当に疑問を感じているのは、もっと大それたお話しで、
それはつまり、　茶会さらには茶事（本格的な茶会）ですら＿
素人、つまり作法を知らぬ者が出席してはいけないのだろうか。　
　そこで、作法を無視して自分流に飲んだり食べたりしてはいけないのだ
ろうか、ということです。

　小生は、初めて茶会なるものがあることを知った頃、茶会とは、だれか
好きな人とか、お世話になっている人を招いて、料理や抹茶を出して
もてなす＿　というものと理解していました。
　しかし、だんだん茶会というものに接するようになると、実はそうではなく、
茶会とは一部の専門家集団が、自分たちだけで楽しんだり、普段の稽古
の成果を見せあう発表会のような場であるらしい……、さらには招く側の
師匠筋の茶人に、稽古をつけてもらう場のような物らしいことがわかって
きました。　　（もちろん、例外的な茶会もあるでしょうが）
　小生得意の図書館蔵書によると、茶会に招かれたならば＿
「．．．をしなければなりません。」「決して．．．をしてはいけません。」
などと、禁句のオンパレードで、あたかも貴族に面会に行くにあたっての
厳しい手順のようなものが示されています。
　これは、一所懸命にお願いしたところ、ちゃんと振舞うことができるなら、
出席させてやらないでもない＿　と言われているということのようです。
（まあ、そうなのですが）

　一般の社会では、こういうのを「招く」とは言わないでしょう。
これでは、「呼び出す」とか「お目通りさせる」の方がぴったりしそうにも
思えます。
　招待する側の言い分も（取り敢えず）解らぬではないのです。　
　茶事というものが、「客を招き、心をこめたもてなしをする二幕のドラマ」
であるとすれば、ドラマの出演者は、それぞれ自分の役割を理解し、
台詞を覚え、充分に練習した上で本番に備えるべきであり、せっかく
皆で筋書き通りにうまくやろうとしている時に、素人が一人混ざっていて
「ぶちこわし」になってしまっては＿
なるほど、みんなとてもガッカリしてしまうかもしれません。　（つづく）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/09/shokoso3.jpg" alt="尚古荘3" title="尚古荘3" width="300" class="alignleft size-full wp-image-4075" /></p>
<p>　以前、抹茶というものは、はたして作法正しく飲むのが「正しい」もしくは<br />
「好ましい」ものだろうか？　というお話をしました。</p>
<p>　でも、小生が本当に疑問を感じているのは、もっと大それたお話しで、<br />
それはつまり、　茶会さらには茶事（本格的な茶会）ですら＿<br />
素人、つまり作法を知らぬ者が出席してはいけないのだろうか。　<br />
　そこで、作法を無視して自分流に飲んだり食べたりしてはいけないのだ<br />
ろうか、ということです。<br />
<span id="more-3390"></span><br />
　小生は、初めて茶会なるものがあることを知った頃、茶会とは、だれか<br />
好きな人とか、お世話になっている人を招いて、料理や抹茶を出して<br />
もてなす＿　というものと理解していました。</p>
<p>　しかし、だんだん茶会というものに接するようになると、実はそうではなく、<br />
茶会とは一部の専門家集団が、自分たちだけで楽しんだり、普段の稽古<br />
の成果を見せあう発表会のような場であるらしい……、さらには招く側の<br />
師匠筋の茶人に、稽古をつけてもらう場のような物らしいことがわかって<br />
きました。　　（もちろん、例外的な茶会もあるでしょうが）</p>
<p>　小生得意の図書館蔵書によると、茶会に招かれたならば＿<br />
「．．．をしなければなりません。」「決して．．．をしてはいけません。」<br />
などと、禁句のオンパレードで、あたかも貴族に面会に行くにあたっての<br />
厳しい手順のようなものが示されています。</p>
<p>　これは、一所懸命にお願いしたところ、ちゃんと振舞うことができるなら、<br />
出席させてやらないでもない＿　と言われているということのようです。<br />
（まあ、そうなのですが）</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/08/chakaiki.jpg" alt="茶会記" title="茶会記" width="300" class="alignleft size-full wp-image-4071" /></p>
<p>　一般の社会では、こういうのを「招く」とは言わないでしょう。<br />
これでは、「呼び出す」とか「お目通りさせる」の方がぴったりしそうにも<br />
思えます。</p>
<p>　招待する側の言い分も（取り敢えず）解らぬではないのです。　<br />
　茶事というものが、「客を招き、心をこめたもてなしをする二幕のドラマ」<br />
であるとすれば、ドラマの出演者は、それぞれ自分の役割を理解し、<br />
台詞を覚え、充分に練習した上で本番に備えるべきであり、せっかく<br />
皆で筋書き通りにうまくやろうとしている時に、素人が一人混ざっていて<br />
「ぶちこわし」になってしまっては＿<br />
なるほど、みんなとてもガッカリしてしまうかもしれません。　（つづく）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2&amp;p=3390</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>稽古遠望_１０（過剰な期待）</title>
		<link>http://205.co.jp/kitapon/?p=4014</link>
		<comments>http://205.co.jp/kitapon/?p=4014#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Aug 2010 02:18:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kitapon</dc:creator>
				<category><![CDATA[稽古遠望]]></category>
		<category><![CDATA[茶道]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://205.co.jp/kitapon/?p=4014</guid>
		<description><![CDATA[
　　　（本文とは関係ありません）
　曰く、茶道とは＿
相手に対し最善を尽くしながらお茶を点てることである。
仁・義・礼・智・信にかなった行動を教え導くものなのである。
客を招き、心をこめたもてなしをする二幕のドラマが茶事である。
茶道におけるもてなしとは、人に対する思いの深さである。
お茶席以外で「もてなす」という言葉は死語になっている。
茶道の作法のどれをとっても相手への思いやりで成り立っている。
．．．などなど。（出典略）

　う～む、　　　これはすごい＿
これを素人が見れば、茶道を１０年も続けたなら、人生の達人とは
言わなくとも、少なくとも「おもてなし」のヴェテランぐらいになれそう
と思っても無理からぬことと思えますが、どうでしょう．．．。
　正直なところ、「日本文化いろは事典」による以下の説明あたりが、
小生などには一番抵抗なく受け入れられるようです。
***
　　茶道とは、伝統的な様式にのっとって客人に抹茶をふるまう事で、
　茶の湯とも言います。茶を入れて飲む事を楽しむだけではなく、生きて
　いく上での目的・考え方、宗教、そして茶道具や茶室に飾る美術品
　など、広い分野にまたがる総合芸術として発展しました。
***
　このテーマに対する小生の結論は、
茶道　すなわち　もてなしの道　などと言ってしまっては、あまりにも
期待し過ぎではないか＿　ということです。
　よく考えてみれば、庭掃除もしたことがなく、意味も解らぬ受験勉強
を重ねてきた若者たちが、ふと思い立って、少し茶道を稽古したからと
いって、急に（１０年やそこらで）他人から尊敬されるような、もてなしの
達人になれるはずなどないと考えるのが、極々自然であると言うべき
なのでしょう。

　が、しかし＿　これはあくまでも、弟子についての話です。
もし武道の師匠が、武道など強ければよいのだ＿　と考えていて、
心などそっちのけで、弟子を鍛えていたとしたらどうだろうか。
　これはとんでもない乱暴者が、続々と世の中に放たれて行くかも
しれません。
　茶道の場合も同じではないか＿
指導者たる者は、その（門人に対する、あるいは社会に対する）責任の
重さを充分に知るべきであろう。
　つまり、これこそが、
小生をして、腹黒師匠を憎ませずにはおかぬ所以なのです。
（最後まで腹黒軍団を敵視しつつ、稽古遠望おわり。　異端の茶会につづく）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/08/sadotext4.jpg" alt="茶道の本4" title="茶道の本4" width="300" class="alignleft size-full wp-image-4050" /><br />
<span style="font-size: xx-small;">　　　（本文とは関係ありません）</span></p>
<p>　曰く、茶道とは＿<br />
相手に対し最善を尽くしながらお茶を点てることである。<br />
仁・義・礼・智・信にかなった行動を教え導くものなのである。<br />
客を招き、心をこめたもてなしをする二幕のドラマが茶事である。<br />
茶道におけるもてなしとは、人に対する思いの深さである。<br />
お茶席以外で「もてなす」という言葉は死語になっている。<br />
茶道の作法のどれをとっても相手への思いやりで成り立っている。<br />
．．．などなど。（出典略）<br />
<span id="more-4014"></span><br />
　う～む、　　　これはすごい＿<br />
これを素人が見れば、茶道を１０年も続けたなら、人生の達人とは<br />
言わなくとも、少なくとも「おもてなし」のヴェテランぐらいになれそう<br />
と思っても無理からぬことと思えますが、どうでしょう．．．。</p>
<p>　正直なところ、「日本文化いろは事典」による以下の説明あたりが、<br />
小生などには一番抵抗なく受け入れられるようです。<br />
***<br />
　　茶道とは、伝統的な様式にのっとって客人に抹茶をふるまう事で、<br />
　茶の湯とも言います。茶を入れて飲む事を楽しむだけではなく、生きて<br />
　いく上での目的・考え方、宗教、そして茶道具や茶室に飾る美術品<br />
　など、広い分野にまたがる総合芸術として発展しました。<br />
***</p>
<p>　このテーマに対する小生の結論は、<br />
茶道　すなわち　もてなしの道　などと言ってしまっては、あまりにも<br />
期待し過ぎではないか＿　ということです。</p>
<p>　よく考えてみれば、庭掃除もしたことがなく、意味も解らぬ受験勉強<br />
を重ねてきた若者たちが、ふと思い立って、少し茶道を稽古したからと<br />
いって、急に（１０年やそこらで）他人から尊敬されるような、もてなしの<br />
達人になれるはずなどないと考えるのが、極々自然であると言うべき<br />
なのでしょう。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/08/yobanashi1.jpg" alt="夜噺1" title="夜噺1" width="300" class="alignleft size-full wp-image-4051" /></p>
<p>　が、しかし＿　これはあくまでも、弟子についての話です。<br />
もし武道の師匠が、武道など強ければよいのだ＿　と考えていて、<br />
心などそっちのけで、弟子を鍛えていたとしたらどうだろうか。<br />
　これはとんでもない乱暴者が、続々と世の中に放たれて行くかも<br />
しれません。</p>
<p>　茶道の場合も同じではないか＿<br />
指導者たる者は、その（門人に対する、あるいは社会に対する）責任の<br />
重さを充分に知るべきであろう。</p>
<p>　つまり、これこそが、<br />
小生をして、腹黒師匠を憎ませずにはおかぬ所以なのです。<br />
（最後まで腹黒軍団を敵視しつつ、稽古遠望おわり。　異端の茶会につづく）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2&amp;p=4014</wfw:commentRss>
		<slash:comments>2</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>稽古遠望_９（披露したい技）</title>
		<link>http://205.co.jp/kitapon/?p=3992</link>
		<comments>http://205.co.jp/kitapon/?p=3992#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 19 Aug 2010 15:23:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kitapon</dc:creator>
				<category><![CDATA[稽古遠望]]></category>
		<category><![CDATA[茶道]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://205.co.jp/kitapon/?p=3992</guid>
		<description><![CDATA[　武道の話の続きです。
　一番、質（たち）が悪いと思えるのは、心などまるで鍛えてなくて、
人を倒す技だけがある程度強くなってしまったヴェテランです。
　そんな輩は、稽古の成果を試してみたくてしょうがなくて、機会ある
ごとに、自分の技を披露してしまうかもしれません。

　　　（出典不明）

　で、　茶道の場合はどうだろう。
　茶道のヴェテランが、ちっとも抹茶をうまく点てられなくて、それを
見ていた素人が、「私にお任せを．．．」と引き取って見事に点てた、
などということは、まあ有り得ないでしょうから、さすがヴェテラン＿
というようなおいしいお茶を振舞ってくれることは期待できそうです。
　しかし、もてなしの心が＿ とか、人間としての振る舞いが＿ などと
言われては、大層迷惑かもしれません。　だって普段はそんな練習を
（少なくとも意識的には）全然してなさそうなのですから．．．。
　つまり、武道の場合と同じように、そんなことが満足にできるのは、
きっと一握りの達人だけなのでしょう。
　また、心などまるで鍛えてない中途半端なヴェテランがたくさんいて、
彼らは（素人は知らないであろう作法をたくさん知っているので）、それ
こそ機会あるごとに（必要もないのに）、その作法を披露してしまったり
しているのではないだろうか。
　もちろん、彼らはそのために、素人が大層迷惑したり、眉をひそめて
いるかもしれぬことなどに全然考えが及ばぬ＿　というわけです。
　ふんふん、なるほど＿
もしそうであるならば、（武道はさておき）こと茶道になると、作法などは
二の次三の次で、心こそ大切だ一体全体彼らは何をやっているのだ＿
などと声高に言うのでは、いかにも無理があるように思えます。

　では、何故われわれ部外者は、茶道とは、例えば抹茶を点てて、
人に供する「技術」を教えるものにすぎず、その結果として人をもてなす
心が身に着くかもしれない&#8230;　と言う風に_、 その程度に＿、　茶道を
見ないのだろう。
　それは、茶道に関連する書物なり宣伝なりに、
「茶道とは心．．．」　のような科白が氾濫していることも、原因の一つ
であると言えぬだろうか。　（つづく）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　武道の話の続きです。<br />
　一番、質（たち）が悪いと思えるのは、心などまるで鍛えてなくて、<br />
人を倒す技だけがある程度強くなってしまったヴェテランです。<br />
　そんな輩は、稽古の成果を試してみたくてしょうがなくて、機会ある<br />
ごとに、自分の技を披露してしまうかもしれません。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/08/kangaroo1.jpg" alt="Street Fight" title="Street Fight" width="300" class="alignleft size-full wp-image-4037" /><br />
<span style="font-size: xx-small;">　　　（出典不明）</span><br />
<span id="more-3992"></span><br />
　で、　茶道の場合はどうだろう。<br />
　茶道のヴェテランが、ちっとも抹茶をうまく点てられなくて、それを<br />
見ていた素人が、「私にお任せを．．．」と引き取って見事に点てた、<br />
などということは、まあ有り得ないでしょうから、さすがヴェテラン＿<br />
というようなおいしいお茶を振舞ってくれることは期待できそうです。</p>
<p>　しかし、もてなしの心が＿ とか、人間としての振る舞いが＿ などと<br />
言われては、大層迷惑かもしれません。　だって普段はそんな練習を<br />
（少なくとも意識的には）全然してなさそうなのですから．．．。</p>
<p>　つまり、武道の場合と同じように、そんなことが満足にできるのは、<br />
きっと一握りの達人だけなのでしょう。</p>
<p>　また、心などまるで鍛えてない中途半端なヴェテランがたくさんいて、<br />
彼らは（素人は知らないであろう作法をたくさん知っているので）、それ<br />
こそ機会あるごとに（必要もないのに）、その作法を披露してしまったり<br />
しているのではないだろうか。<br />
　もちろん、彼らはそのために、素人が大層迷惑したり、眉をひそめて<br />
いるかもしれぬことなどに全然考えが及ばぬ＿　というわけです。</p>
<p>　ふんふん、なるほど＿<br />
もしそうであるならば、（武道はさておき）こと茶道になると、作法などは<br />
二の次三の次で、心こそ大切だ一体全体彼らは何をやっているのだ＿<br />
などと声高に言うのでは、いかにも無理があるように思えます。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-4031" title="熊田家茶室" src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/08/kumada.jpg" alt="熊田家茶室" width="300" /></p>
<p>　では、何故われわれ部外者は、茶道とは、例えば抹茶を点てて、<br />
人に供する「技術」を教えるものにすぎず、その結果として人をもてなす<br />
心が身に着くかもしれない&#8230;　と言う風に_、 その程度に＿、　茶道を<br />
見ないのだろう。</p>
<p>　それは、茶道に関連する書物なり宣伝なりに、<br />
「茶道とは心．．．」　のような科白が氾濫していることも、原因の一つ<br />
であると言えぬだろうか。　（つづく）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2&amp;p=3992</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>稽古遠望_８（武道と比較すれば）</title>
		<link>http://205.co.jp/kitapon/?p=3967</link>
		<comments>http://205.co.jp/kitapon/?p=3967#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 31 Jul 2010 15:01:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kitapon</dc:creator>
				<category><![CDATA[稽古遠望]]></category>
		<category><![CDATA[茶道]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://205.co.jp/kitapon/?p=3967</guid>
		<description><![CDATA[　ただでさえ重い話をしているのに、さらに受験勉強の話など、やめて
おきましょう．．．。　　そもそも、何の話でしたっけ？
　

　そうそう、茶道の稽古の中に、「もてなしの稽古」というようなものが
あるのだろうか＿　というような話でした。
　では、
「道」とか「稽古」というような意味において、似てはいるが、茶道とは
違うもの＿　例えば「武道」の場合はどうだろう．．．。　
　ほとんどの武道は、日々の苦しい鍛錬を通して、最終的にはやはり
人の道とか、そういったものを目標にしていると思えます。
　では武道を稽古している者は皆、心が鍛えられているのだろうか。
武道では、いつも人の道を目指しながら稽古しているのだろうか。
　武道に励む若者に、その動機を問うたとします。
その時、「立派な人間になりたくて．．．」とかいった類いの回答を得た
なら、きっとにわかには信じられないでしょう。
　「実はケンカに強くなりたいと思って．．．」と言われれば、よほど
納得がいきます。
　稽古のときに、人の道を考えながら励めというのは所詮空論に過ぎ
ないのではないか。　普通の人は道場なりに出かけて行って、そこで
何をやっているのかといえば、つまりその武道の「技」を磨いているに
相違ありません。
　人の道云々は、あくまでもその結果として、例えば達人になった時に
自然と身に着いてくるものであり、普段からそれを身に着けようとして
稽古に励む＿　などということは、ほとんど無いと考えるべきでしょう。
　彼らに、いや武道とは＿　などと部外者が口を挟むのは、なるほど、
いかにも無理があるような気がします。　

　ところで、
　武道のヴェテランが何かの加減で暴力沙汰に巻き込まれたとします。
その時、そのヴェテランが（本気を出したのに）素人に簡単に殴り倒さ
れたとしたら、それを見ていた人達はきっとビックリして「なあんだ、
何年も稽古に励んでいるのに大したことはないな」と思いそうです。
　また、この場に本当の達人が居合わせたならどうであろう。
　その素人に対して、すっかり謝ってその場を納める＿　とか、もともと
そういう暴力沙汰になる前に、なんとか回避するというような、見事な
振る舞いを見せるかもしれません。　　（つづく）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　ただでさえ重い話をしているのに、さらに受験勉強の話など、やめて<br />
おきましょう．．．。　　そもそも、何の話でしたっけ？</p>
<p>　<img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/juken.jpg" alt="受験勉強" title="受験勉強" width="240" class="alignleft size-full wp-image-4002" /><br />
<span id="more-3967"></span><br />
　そうそう、茶道の稽古の中に、「もてなしの稽古」というようなものが<br />
あるのだろうか＿　というような話でした。</p>
<p>　では、<br />
「道」とか「稽古」というような意味において、似てはいるが、茶道とは<br />
違うもの＿　例えば「武道」の場合はどうだろう．．．。　</p>
<p>　ほとんどの武道は、日々の苦しい鍛錬を通して、最終的にはやはり<br />
人の道とか、そういったものを目標にしていると思えます。<br />
　では武道を稽古している者は皆、心が鍛えられているのだろうか。<br />
武道では、いつも人の道を目指しながら稽古しているのだろうか。</p>
<p>　武道に励む若者に、その動機を問うたとします。<br />
その時、「立派な人間になりたくて．．．」とかいった類いの回答を得た<br />
なら、きっとにわかには信じられないでしょう。<br />
　「実はケンカに強くなりたいと思って．．．」と言われれば、よほど<br />
納得がいきます。</p>
<p>　稽古のときに、人の道を考えながら励めというのは所詮空論に過ぎ<br />
ないのではないか。　普通の人は道場なりに出かけて行って、そこで<br />
何をやっているのかといえば、つまりその武道の「技」を磨いているに<br />
相違ありません。<br />
　人の道云々は、あくまでもその結果として、例えば達人になった時に<br />
自然と身に着いてくるものであり、普段からそれを身に着けようとして<br />
稽古に励む＿　などということは、ほとんど無いと考えるべきでしょう。</p>
<p>　彼らに、いや武道とは＿　などと部外者が口を挟むのは、なるほど、<br />
いかにも無理があるような気がします。　</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-3998" title="合気道" src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/aikido1.jpg" alt="合気道" width="300" /></p>
<p>　ところで、<br />
　武道のヴェテランが何かの加減で暴力沙汰に巻き込まれたとします。<br />
その時、そのヴェテランが（本気を出したのに）素人に簡単に殴り倒さ<br />
れたとしたら、それを見ていた人達はきっとビックリして「なあんだ、<br />
何年も稽古に励んでいるのに大したことはないな」と思いそうです。</p>
<p>　また、この場に本当の達人が居合わせたならどうであろう。<br />
　その素人に対して、すっかり謝ってその場を納める＿　とか、もともと<br />
そういう暴力沙汰になる前に、なんとか回避するというような、見事な<br />
振る舞いを見せるかもしれません。　　（つづく）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2&amp;p=3967</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>稽古遠望_７（真面目な受験生）</title>
		<link>http://205.co.jp/kitapon/?p=3921</link>
		<comments>http://205.co.jp/kitapon/?p=3921#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 26 Jul 2010 05:44:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kitapon</dc:creator>
				<category><![CDATA[稽古遠望]]></category>
		<category><![CDATA[茶道]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://205.co.jp/kitapon/?p=3921</guid>
		<description><![CDATA[　普段の茶道の稽古において、人をもてなすための稽古というものが、
どの程度行われているのだろう＿というお話の続きです。
　もちろん、小生は茶道の稽古の経験はありませんので、周りにいる
茶道経験者に聞いてみたわけです。


　「さあ＿　そんな稽古は特にした覚えはありません」とか
「そういうことは、茶会で経験（稽古）します」
というような回答が多かったような気がします。
　実際の茶道の稽古では、膨大な種類の点前の順序や振る舞いを
教え、教わり、それを覚えるあるいは思い出すことに精一杯であり、
そこでは具体的なもてなしの修業をしている時間などとても無いかの
ようです。
　でも、もう少し詳しく訊いてみると、
「本日はようこそ．．．」とか、「もう一服いかが．．．」とかの、相手を
思いやる言葉を口にしたり、お辞儀の仕方とか、心を込めてお茶を
点てるなどという稽古が、きっとそれにあたるのであろう＿とも思え
ます。
　それに＿
「いやいや、素人には解らぬだろうが、袱紗のさばき方一つ、水の
差し方一つをとっても、立派なもてなしの稽古なのだよ」　といわれる
かもしれません。　そして、きっとそういうようなことなのでしょう。
　しかし、現実にはどの程度の門人がそのことを理解して稽古して
いるのだろう。
　本当は、もっともっと大事な学ぶべき事柄がすぐそばにあることに
気付かず、技術や表面的な知識だけを身に着けて、心はさっぱり＿
などという茶人がどんどん排出され、そしてその結果として、いろんな
場所で、素人あるいは部外者の眉をひそめさせる輩が後を絶たない、　
というようなことではないだろうか。
 
　これは、勉強の意味や意義など全然わからぬまま、受験勉強に
追いまくられ、さて一体自分は何のために学問を身につけたのか、
はたしてこの学問を何に使えばよいのか＿　に対する回答を全く
持ち合わせていないように見える、現代の（真面目な）学生達に、
とても良く似ているような気がします。　（つづく）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　普段の茶道の稽古において、人をもてなすための稽古というものが、<br />
どの程度行われているのだろう＿というお話の続きです。<br />
　もちろん、小生は茶道の稽古の経験はありませんので、周りにいる<br />
茶道経験者に聞いてみたわけです。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/chakaiimage2.jpg" alt="稽古1" title="稽古1" width="300" class="alignleft size-full wp-image-3980" /><br />
<span id="more-3921"></span><br />
　「さあ＿　そんな稽古は特にした覚えはありません」とか<br />
「そういうことは、茶会で経験（稽古）します」<br />
というような回答が多かったような気がします。</p>
<p>　実際の茶道の稽古では、膨大な種類の点前の順序や振る舞いを<br />
教え、教わり、それを覚えるあるいは思い出すことに精一杯であり、<br />
そこでは具体的なもてなしの修業をしている時間などとても無いかの<br />
ようです。</p>
<p>　でも、もう少し詳しく訊いてみると、<br />
「本日はようこそ．．．」とか、「もう一服いかが．．．」とかの、相手を<br />
思いやる言葉を口にしたり、お辞儀の仕方とか、心を込めてお茶を<br />
点てるなどという稽古が、きっとそれにあたるのであろう＿とも思え<br />
ます。</p>
<p>　それに＿<br />
「いやいや、素人には解らぬだろうが、袱紗のさばき方一つ、水の<br />
差し方一つをとっても、立派なもてなしの稽古なのだよ」　といわれる<br />
かもしれません。　そして、きっとそういうようなことなのでしょう。</p>
<p>　しかし、現実にはどの程度の門人がそのことを理解して稽古して<br />
いるのだろう。</p>
<p>　本当は、もっともっと大事な学ぶべき事柄がすぐそばにあることに<br />
気付かず、技術や表面的な知識だけを身に着けて、心はさっぱり＿<br />
などという茶人がどんどん排出され、そしてその結果として、いろんな<br />
場所で、素人あるいは部外者の眉をひそめさせる輩が後を絶たない、　<br />
というようなことではないだろうか。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/juken.gif" alt="受験会場" title="受験会場" width="300" class="alignleft size-full wp-image-3978" /> </p>
<p>　これは、勉強の意味や意義など全然わからぬまま、受験勉強に<br />
追いまくられ、さて一体自分は何のために学問を身につけたのか、<br />
はたしてこの学問を何に使えばよいのか＿　に対する回答を全く<br />
持ち合わせていないように見える、現代の（真面目な）学生達に、<br />
とても良く似ているような気がします。　（つづく）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2&amp;p=3921</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>稽古遠望_６（もてなしはどれですか？）</title>
		<link>http://205.co.jp/kitapon/?p=3891</link>
		<comments>http://205.co.jp/kitapon/?p=3891#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 19 Jul 2010 15:37:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kitapon</dc:creator>
				<category><![CDATA[稽古遠望]]></category>
		<category><![CDATA[茶道]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://205.co.jp/kitapon/?p=3891</guid>
		<description><![CDATA[
　誤解を恐れず大まかに言ってしまえば＿
　外界から覗くと、茶道界にはとんでもない腹黒茶人がゴロゴロして
いるように見受けられるのに、茶道界の人達はそれを大して気にして
いないように見える。　＿　ということです。

　そしてつまりこれは、　小生が、茶道というものを勝手に誤解している
と考えると、とても辻褄があうような気がします。
　小生は、素人なりに、茶道関連の書物を読んだり、ヴェテランの説明
を聞いたりして、なんとなく、茶道とは「茶を点てて人をもてなす」ような
ことではないか、いや、もう少し丁寧に言えば、人をもてなすことは、
少なくとも茶道の大切な目的なり手段なりの中に入っているはずだ、
と思っていたのです。
　茶道とは何か＿　などという大層な命題にたいして、小生のような
ど素人の部外者が自分の考えを述べるというのは、どう考えても
とんでもなく無理があり、噴飯ものであると言えるかもしれません。
　でもしかし、素人が、茶道とはどういうものであると理解しているか＿
を、（ちょいと参考までに）述べることは、茶道関係者ではなく、素人に
しかできない芸当であるとも言えます。　
　そういう意味においては、茶道を「もてなしの道」のようなものと信じ、
期待しているというのは、ど素人としての（大威張りの）見解であり、
さらにまた、これは小生がかの佐喜知庵の魔王と運命的な出会いを
して以来、一貫して信じ続けている想いでもあるのです。

　　　（写真は本文とは関係ありません）
　それ故に、小生は茶会に行けば、　あるいは茶人を見れば、　
「で、もてなしはどれですか？」と、いつも探しています。
　そして、小生が探し物が見つからずにウロウロしているのに、みんな
平気な顔をしているのは、「そんなものは見つからなくても、どうという
ことはないんだよ」と言っている＿　というようなことではないだろうか。
　つまり、先の小生の見解が見当違いの解釈らいしと思う所以です。
　
　ところで．．．
　「人をもてなす」事が、茶道の大切な目的の内の一つに位置している
かどうかは、普段の茶道の稽古において、人をもてなすための稽古と
いうものが、どの程度行われているか＿を見れば、ほぼわかるような
気がします。　（つづく）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/shokoso2.jpg" alt="尚古荘2" title="尚古荘2" width="300" class="alignleft size-full wp-image-3941" /></p>
<p>　誤解を恐れず大まかに言ってしまえば＿<br />
　外界から覗くと、茶道界にはとんでもない腹黒茶人がゴロゴロして<br />
いるように見受けられるのに、茶道界の人達はそれを大して気にして<br />
いないように見える。　＿　ということです。<br />
<span id="more-3891"></span><br />
　そしてつまりこれは、　小生が、茶道というものを勝手に誤解している<br />
と考えると、とても辻褄があうような気がします。</p>
<p>　小生は、素人なりに、茶道関連の書物を読んだり、ヴェテランの説明<br />
を聞いたりして、なんとなく、茶道とは「茶を点てて人をもてなす」ような<br />
ことではないか、いや、もう少し丁寧に言えば、人をもてなすことは、<br />
少なくとも茶道の大切な目的なり手段なりの中に入っているはずだ、<br />
と思っていたのです。</p>
<p>　茶道とは何か＿　などという大層な命題にたいして、小生のような<br />
ど素人の部外者が自分の考えを述べるというのは、どう考えても<br />
とんでもなく無理があり、噴飯ものであると言えるかもしれません。</p>
<p>　でもしかし、素人が、茶道とはどういうものであると理解しているか＿<br />
を、（ちょいと参考までに）述べることは、茶道関係者ではなく、素人に<br />
しかできない芸当であるとも言えます。　<br />
　そういう意味においては、茶道を「もてなしの道」のようなものと信じ、<br />
期待しているというのは、ど素人としての（大威張りの）見解であり、<br />
さらにまた、これは小生がかの<a href="http://205.co.jp/kitapon/?p=141">佐喜知庵の魔王</a>と運命的な出会いを<br />
して以来、一貫して信じ続けている想いでもあるのです。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/syumokukan6.jpg" alt="撞木館6" title="撞木館6" width="300" class="alignleft size-full wp-image-3939" /><br />
<span style="font-size: xx-small;">　　　（写真は本文とは関係ありません）</span></p>
<p>　それ故に、小生は茶会に行けば、　あるいは茶人を見れば、　<br />
「で、もてなしはどれですか？」と、いつも探しています。</p>
<p>　そして、小生が探し物が見つからずにウロウロしているのに、みんな<br />
平気な顔をしているのは、「そんなものは見つからなくても、どうという<br />
ことはないんだよ」と言っている＿　というようなことではないだろうか。</p>
<p>　つまり、先の小生の見解が見当違いの解釈らいしと思う所以です。<br />
　<br />
　ところで．．．<br />
　「人をもてなす」事が、茶道の大切な目的の内の一つに位置している<br />
かどうかは、普段の茶道の稽古において、人をもてなすための稽古と<br />
いうものが、どの程度行われているか＿を見れば、ほぼわかるような<br />
気がします。　（つづく）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2&amp;p=3891</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>稽古遠望_５（青いおじさん）</title>
		<link>http://205.co.jp/kitapon/?p=3609</link>
		<comments>http://205.co.jp/kitapon/?p=3609#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 13 Jul 2010 15:01:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kitapon</dc:creator>
				<category><![CDATA[稽古遠望]]></category>
		<category><![CDATA[茶道]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://205.co.jp/kitapon/?p=3609</guid>
		<description><![CDATA[　周りにこれだけたくさんの変な茶人がいる（らしい）。
そして、それを誰もあまり問題にしていない（ように見える）。　
そのことに対して小生がとても不思議に思う．．．。
　この構図は、茶道以外の場面でもよく出会うような気がします。


　例えば＿
　テーマパークなどで、整理券を発行すれば解決しそうなのに、誰も
特に文句など言わず、炎天下に何時間も並んでいる＿とか、
　大して暑くもない夏の日に、そのあたりの店舗に入ると、ものすごく
冷房が効いていて、５分も居続けたら凍傷になりそうである＿とか、
　すし屋や、そば屋の客が、亭主の顔色をうかがいながら、注文させて
頂いている＿とか、
　どうしてみんな平気なんだろう。
　なぜ誰も不平を言わないのだろう。
　こういう場合に、小生はややもすると、関係者などに難癖をつけそう
になり、それを止めようとするカミサンに毒づいたりしているのですが、
落ち着いて考えてみると、周りの人がおかしいのではなくて、小生が
おかしいと考えた方が、無理がないのかもしれぬと、思わぬでもない
のです。
　世の中の事は「自分だけが正しい」よりも「自分だけが間違っている」
方が、はるかにありそうな話でしょうから．．．。
　ということは＿
　公の場で、（自分が正義だと信じて）茶道の作法を振りかざしながら
クレームをつけているような腹黒ヴェテランを見て、腹を立てて家に帰り、
さっそく（自分が正義だと信じて）ブログに披露する＿　などという事は、
五十歩百歩どころか五十歩五十五歩程度の話ではないか．．．。
　小生は今まで、茶道について散々、納得いかぬ とか、信じられぬ、
といった話をしてきたように思います。
　そして、いろいろな機会を通じて、小生の意見に賛同してくれる人達
が、少なからず存在することも知りました。

　　　（青いおじさん）
　しかし、何か虚しい雰囲気も感じるのです。　
そんな意見はどこ吹く風といった様子で、皆そ知らぬ顔をしています。
たまにこちらを向いた人も、ちょっと苦笑してまた普段の生活に戻って
行くように見えます。　
　「はい、はい、そういう意見も承っておきましょう」　とか、
　「はっはっは、　青い！青い！」とか、
　「何言ってんの？　このおじさん」
などと言われているような気もするのです。　（つづく）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　周りにこれだけたくさんの変な茶人がいる（らしい）。<br />
そして、それを誰もあまり問題にしていない（ように見える）。　<br />
そのことに対して小生がとても不思議に思う．．．。<br />
　この構図は、茶道以外の場面でもよく出会うような気がします。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/expo11.jpg" alt="愛知万博" title="愛知万博" width="300" class="alignleft size-full wp-image-3899" /><br />
<span id="more-3609"></span><br />
　例えば＿<br />
　テーマパークなどで、整理券を発行すれば解決しそうなのに、誰も<br />
特に文句など言わず、炎天下に何時間も並んでいる＿とか、<br />
　大して暑くもない夏の日に、そのあたりの店舗に入ると、ものすごく<br />
冷房が効いていて、５分も居続けたら凍傷になりそうである＿とか、<br />
　すし屋や、そば屋の客が、亭主の顔色をうかがいながら、注文させて<br />
頂いている＿とか、</p>
<p>　どうしてみんな平気なんだろう。<br />
　なぜ誰も不平を言わないのだろう。</p>
<p>　こういう場合に、小生はややもすると、関係者などに難癖をつけそう<br />
になり、それを止めようとするカミサンに毒づいたりしているのですが、<br />
落ち着いて考えてみると、周りの人がおかしいのではなくて、小生が<br />
おかしいと考えた方が、無理がないのかもしれぬと、思わぬでもない<br />
のです。<br />
　世の中の事は「自分だけが正しい」よりも「自分だけが間違っている」<br />
方が、はるかにありそうな話でしょうから．．．。</p>
<p>　ということは＿<br />
　公の場で、（自分が正義だと信じて）茶道の作法を振りかざしながら<br />
クレームをつけているような腹黒ヴェテランを見て、腹を立てて家に帰り、<br />
さっそく（自分が正義だと信じて）ブログに披露する＿　などという事は、<br />
五十歩百歩どころか五十歩五十五歩程度の話ではないか．．．。</p>
<p>　小生は今まで、茶道について散々、納得いかぬ とか、信じられぬ、<br />
といった話をしてきたように思います。<br />
　そして、いろいろな機会を通じて、小生の意見に賛同してくれる人達<br />
が、少なからず存在することも知りました。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/expo2.jpg" alt="愛知万博モリゾー" title="愛知万博モリゾー" width="281" class="alignleft size-full wp-image-3902" /><br />
<span style="font-size: xx-small;">　　　（青いおじさん）</span></p>
<p>　しかし、何か虚しい雰囲気も感じるのです。　<br />
そんな意見はどこ吹く風といった様子で、皆そ知らぬ顔をしています。<br />
たまにこちらを向いた人も、ちょっと苦笑してまた普段の生活に戻って<br />
行くように見えます。　</p>
<p>　「はい、はい、そういう意見も承っておきましょう」　とか、<br />
　「はっはっは、　青い！青い！」とか、<br />
　「何言ってんの？　このおじさん」<br />
などと言われているような気もするのです。　（つづく）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2&amp;p=3609</wfw:commentRss>
		<slash:comments>2</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>稽古遠望_４（スーパー教師）</title>
		<link>http://205.co.jp/kitapon/?p=3832</link>
		<comments>http://205.co.jp/kitapon/?p=3832#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 07 Jul 2010 15:27:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kitapon</dc:creator>
				<category><![CDATA[稽古遠望]]></category>
		<category><![CDATA[茶道]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://205.co.jp/kitapon/?p=3832</guid>
		<description><![CDATA[　師匠は門人に、技術や知識だけでなく心も教えているのであろう＿
というような話をしましたが、このことは学校の教育にもあてはまるの
ではないだろうか。
　　
　　　（写真は本文とは関係ありません）

　例えば＿　ある学校にスーパー教師がいて、結構豊富な知識を持ち
難しい問題でもサラリと解いたりする。
　さらに、この教師は相当な家柄で、兄は校長、父親は有名大の
教授、自身は東大卒業で○○委員会の有望委員だ。
　おまけにかなりのイケメンで女子生徒に絶大な人気が．．．！
　だがしかし、
彼は勉強のできない生徒は馬鹿にする。
風采の上がらぬ同僚の教師は、生徒の前でも罵倒する。
一方で、事あるごとに自分の才能や家柄を自慢することは忘れない。
成績優秀な生徒には、少しでもよい受験結果を得るべく猛烈に
指導するが、その生徒が直面している悩みには全然気付かない。
もちろん、落ちこぼれだの、いじめだのにはまるで関心がない。
でも、女生徒たちに自分がどう思われているかについては、敏感に
反応してしまう．．．
　こんな教師がいたらどうだろう。
（ふと、小生の高校時代の、ある教師の顔が浮かびましたが．．．）
　こんな先生に教えられて、まともな生徒が育つだろうか。

　　　（写真は本文とは関係ありません）
「みんなから褒めてもらいたい」などと考えながら人を指導する
などは論外として、かの師匠たちは、とても相手の立場に立って
指導しているとは思われないのです。
　自分が教えたいことだけを教えるとか、自分はこういう風に教えたい
のだから、教わる者は、それに合わせるのが、当たり前であるとか、
つまり、自分の都合で自分のために人を指導している＿　とすれば、　
それはロボットとは言わないまでも、せいぜい、学生がアルバイトで
家庭教師をやっている程度のレベルでしかないでしょう。
　いやいや、ところがしかし．．．。
　案外、さきの例のスーパー教師などが、生徒の親に人気があったり
するのが、現実ではないか＿　という気がするのです。
　こういう親や、そういう先生に育てられた子供たちこそいい迷惑で、
それでも立派な人間になるとすれば、これはもう奇跡と言ってもよい
のかもしれない。　（つづく）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　師匠は門人に、技術や知識だけでなく心も教えているのであろう＿<br />
というような話をしましたが、このことは学校の教育にもあてはまるの<br />
ではないだろうか。</p>
<p>　　<img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/kinjo11.jpg" alt="女子高" title="女子高" width="240" class="alignleft size-full wp-image-3852" /><br />
<span style="font-size: xx-small;">　　　（写真は本文とは関係ありません）</span><br />
<span id="more-3832"></span><br />
　例えば＿　ある学校にスーパー教師がいて、結構豊富な知識を持ち<br />
難しい問題でもサラリと解いたりする。<br />
　さらに、この教師は相当な家柄で、兄は校長、父親は有名大の<br />
教授、自身は東大卒業で○○委員会の有望委員だ。<br />
　おまけにかなりのイケメンで女子生徒に絶大な人気が．．．！</p>
<p>　だがしかし、<br />
彼は勉強のできない生徒は馬鹿にする。<br />
風采の上がらぬ同僚の教師は、生徒の前でも罵倒する。<br />
一方で、事あるごとに自分の才能や家柄を自慢することは忘れない。<br />
成績優秀な生徒には、少しでもよい受験結果を得るべく猛烈に<br />
指導するが、その生徒が直面している悩みには全然気付かない。<br />
もちろん、落ちこぼれだの、いじめだのにはまるで関心がない。<br />
でも、女生徒たちに自分がどう思われているかについては、敏感に<br />
反応してしまう．．．</p>
<p>　こんな教師がいたらどうだろう。<br />
（ふと、小生の高校時代の、ある教師の顔が浮かびましたが．．．）<br />
　こんな先生に教えられて、まともな生徒が育つだろうか。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-3849" title="大学授業" src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/waseda1.jpg" alt="大学授業" width="300" /><br />
<span style="font-size: xx-small;">　　　（写真は本文とは関係ありません）</span></p>
<p>「みんなから褒めてもらいたい」などと考えながら人を指導する<br />
などは論外として、かの師匠たちは、とても相手の立場に立って<br />
指導しているとは思われないのです。</p>
<p>　自分が教えたいことだけを教えるとか、自分はこういう風に教えたい<br />
のだから、教わる者は、それに合わせるのが、当たり前であるとか、<br />
つまり、自分の都合で自分のために人を指導している＿　とすれば、　<br />
それはロボットとは言わないまでも、せいぜい、学生がアルバイトで<br />
家庭教師をやっている程度のレベルでしかないでしょう。</p>
<p>　いやいや、ところがしかし．．．。</p>
<p>　案外、さきの例のスーパー教師などが、生徒の親に人気があったり<br />
するのが、現実ではないか＿　という気がするのです。</p>
<p>　こういう親や、そういう先生に育てられた子供たちこそいい迷惑で、<br />
それでも立派な人間になるとすれば、これはもう奇跡と言ってもよい<br />
のかもしれない。　（つづく）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2&amp;p=3832</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>稽古遠望_３（ロボット師匠）</title>
		<link>http://205.co.jp/kitapon/?p=3794</link>
		<comments>http://205.co.jp/kitapon/?p=3794#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 01 Jul 2010 15:12:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kitapon</dc:creator>
				<category><![CDATA[稽古遠望]]></category>
		<category><![CDATA[茶道]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://205.co.jp/kitapon/?p=3794</guid>
		<description><![CDATA[　稽古場の魔力は師匠の人間性によってもたらされているに違いない
という話のつづきです。
　稽古（茶道ではありませんが）をつけてもらっている時、小生はよく、
師匠の内面（つまり人間性）に近付こうとしている自分に気付きます。


　これは、真剣になって師匠の説明を聞き、その技を自分もなそうと
すれば、無意識の内に師匠と自分を一体化しようと努力しており、
（恐れ多いか？）その結果として必然的に師匠の内面にも近付こう
としているのではないかと思います。
　稽古場へ来たからといって、急に良い人間には変われません。
しかし、欠点を抑えて長所を出そうと努力することはできます。
　つまり、小生はこの稽古場へ来ると条件反射的にそういう努力を
しているようなのです。　もっと解りやすく言えば、ここでは良い子で
いなくちゃ恥ずかしいぞ＿　と考えているのです。　
（「ここでは」ではなくて「どこでも」が理想ですが．．．）
　そして、例えばつまらぬことを考えている自分を恥ずかしく思う
ような、そういった心境になることが（小生でも）できるのです。
　他の稽古仲間も程度の差こそあれ、明らかに皆似たような努力を
しているように見受けられます。
　そして、その結果として稽古場中がそんな雰囲気になりますから、
ますますそういう念力が満ち溢れてくるのではないかと思います。
　もちろん、これが稽古そのものではありませんし、こういう努力を
しようと意識して稽古に来ているわけでもありません。　
　しかし、ある事柄を習おうとして稽古場に通っていると、その結果
として、師匠の内面まで見習おうとするので、だんだん大切な物が
身についてくる＿　といったような流れではないかと考えるのです。
　単に技や知識を得るのであれば、他にもいろいろ手段はありそう
です。　しかし稽古と言われるものは、やはり師匠から目に見えぬ
ものを受け継いだり伝授されたりすること＿、　つまり人間を鍛えて
もらうとか、人生を教えて頂くというようなところへ繋がって行くから
こそ、世の人々に（普通）尊ばれ、存在価値を大きくしているのでは
ないでしょうか。

　語学教室なら、ひょっとするとロボットでも教師ができるかもしれま
せん。　しかし、稽古の師匠はロボットにはできぬ理由がここにある
と思います。
　つまり、だからこそ＿
　稽古における師匠とは、門人たちの人間性の成長なり形成なりに
大きな影響をもたらすものであるからこそ＿
　道具をたくさん持っているだの、重い役職に就いているだのを自慢
げに語るような師匠を見るにつけ、話を聞くにつけ．．．　
ロボットの方がまだましかもしれぬなどと、つい思わずにはいられぬ
小生なのです。（つい力が入って、話が長くなったような．．．つづく）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　稽古場の魔力は師匠の人間性によってもたらされているに違いない<br />
という話のつづきです。<br />
　稽古（茶道ではありませんが）をつけてもらっている時、小生はよく、<br />
師匠の内面（つまり人間性）に近付こうとしている自分に気付きます。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/mugaen1.jpg" alt="無我苑1" title="無我苑1" width="300" class="alignleft size-full wp-image-3822" /><br />
<span id="more-3794"></span><br />
　これは、真剣になって師匠の説明を聞き、その技を自分もなそうと<br />
すれば、無意識の内に師匠と自分を一体化しようと努力しており、<br />
（恐れ多いか？）その結果として必然的に師匠の内面にも近付こう<br />
としているのではないかと思います。</p>
<p>　稽古場へ来たからといって、急に良い人間には変われません。<br />
しかし、欠点を抑えて長所を出そうと努力することはできます。<br />
　つまり、小生はこの稽古場へ来ると条件反射的にそういう努力を<br />
しているようなのです。　もっと解りやすく言えば、ここでは良い子で<br />
いなくちゃ恥ずかしいぞ＿　と考えているのです。　<br />
（「ここでは」ではなくて「どこでも」が理想ですが．．．）</p>
<p>　そして、例えばつまらぬことを考えている自分を恥ずかしく思う<br />
ような、そういった心境になることが（小生でも）できるのです。</p>
<p>　他の稽古仲間も程度の差こそあれ、明らかに皆似たような努力を<br />
しているように見受けられます。<br />
　そして、その結果として稽古場中がそんな雰囲気になりますから、<br />
ますますそういう念力が満ち溢れてくるのではないかと思います。</p>
<p>　もちろん、これが稽古そのものではありませんし、こういう努力を<br />
しようと意識して稽古に来ているわけでもありません。　<br />
　しかし、ある事柄を習おうとして稽古場に通っていると、その結果<br />
として、師匠の内面まで見習おうとするので、だんだん大切な物が<br />
身についてくる＿　といったような流れではないかと考えるのです。</p>
<p>　単に技や知識を得るのであれば、他にもいろいろ手段はありそう<br />
です。　しかし稽古と言われるものは、やはり師匠から目に見えぬ<br />
ものを受け継いだり伝授されたりすること＿、　つまり人間を鍛えて<br />
もらうとか、人生を教えて頂くというようなところへ繋がって行くから<br />
こそ、世の人々に（普通）尊ばれ、存在価値を大きくしているのでは<br />
ないでしょうか。</p>
<p><img src="http://205.co.jp/kitapon/wp-content/uploads/2010/07/robot1.jpg" alt="ロボット1" title="ロボット1" width="300" class="alignleft size-full wp-image-3819" /></p>
<p>　語学教室なら、ひょっとするとロボットでも教師ができるかもしれま<br />
せん。　しかし、稽古の師匠はロボットにはできぬ理由がここにある<br />
と思います。</p>
<p>　つまり、だからこそ＿<br />
　稽古における師匠とは、門人たちの人間性の成長なり形成なりに<br />
大きな影響をもたらすものであるからこそ＿</p>
<p>　道具をたくさん持っているだの、重い役職に就いているだのを自慢<br />
げに語るような師匠を見るにつけ、話を聞くにつけ．．．　<br />
ロボットの方がまだましかもしれぬなどと、つい思わずにはいられぬ<br />
小生なのです。（つい力が入って、話が長くなったような．．．つづく）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://205.co.jp/kitapon/?feed=rss2&amp;p=3794</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
